経営学者の伊丹先生が自らもこれまで書いた本とは流れが大きく変わる惧れ多い本とのことですが、日本のトップマネジメントについて論じている本を紹介します。
本書:「よき経営者の姿」です。
本書は、著者:伊丹 敬之先生にて、2007年1月に日本経済新聞社出版局より発行されています。
本書の帯には、以下のように書かれてあります。
「社長ごっこ
はもう
やめよう。
リーダーとして、教育者としての器を
持った経営者はどれほどいるのか。
単に「社長ごっこ」に興じているだけで
はないのか?業績復活でうわつき始
めた日本の経営者に贈る警告の書。
帯に書かれた「社長ごっこ」とは、著者がプロローグで詳細に説明しているが、以下のようなこと。
「真に社長らしいことをするのではなく、「真似事」を互いにやり合う」ことで、本来は、社長としての器量がない人が、社長らしい行動をとろうとして、真似事をし、現場から遊離していく、それを多くの社長が互いに見せ合って、相互承認・自己陶酔をする」ことだとしている。
本書では、このような「社長ごっこ」から脱した経営者のあり方について、「よき経営者とは」というテーマのもと、論を展開しています。
よき経営者論は、なんと第1章の「顔つき」から始まります。
よき経営者の姿を象徴的に語り、その器量を象徴するのが顔つきとして、昭和の宮大工 名棟梁の西岡常一さんの話題が展開されます。
法隆寺の語り継がれている口伝として、印象的な以下の二つの口伝が紹介されています。
- 「百工あれば百念あり。これを一つに統ぶる。これ匠長の器量なり。百論ひとつに止まる。これ正なり。」(匠長は、棟梁のこと。百論が一つに止まれば、一が止の上にのって、正という漢字になるとのこと。)
- 「百論をひとつに止めるの器量なき者は慎み惧れて匠長の座を去れ」
棟梁の大きな仕事は、人の考えを無視して、支配する力だけではできない。やったとしても心のこもった仕事はできず、心のこもった仕事でないと建物は美しくはならず、長持ちがしない、また木の命も生かすことができないとのこと。工人の意見を一つにまとまられないものは棟梁を辞めよとのこと。
この法隆寺宮大工棟梁に伝わる口伝が本書の基本モチーフになっています。
改めて、立場の美学と責任の美学を説く第6章「引き際」でも上の口伝が引用されています。
「仕事」、「資質」、「育ち方」、「失敗」をタイトルに第2章から5章までの経営者論が展開されています。
興味深いと思った箇所を2,3紹介します。
● 経営者の3つの役割とは、
- リーダー(人についていこうと思わせ、そして彼らをまとめる属人的影響力)
- 代表者(組織としての外部への働きかけと外部からの波の防波堤となる役割)
- 設計者(企業のグランドデザインの提唱)
● アメリカの教育者ウイリアム・ウォードの言葉に以下の名言があるという。「”The mediocre teacher tells,The good teacher explains ,The superior teacher demonstrates ,The great teacher inspires.”」
「凡庸な教師は、指示をする。いい教師は、説明をする。優れた教師は、範となる。偉大な教師は、内なる炎に火をつける」
教師を経営者に置き換えれば、まさに経営者について語っているのと同じである。」
としていますが、これは、使いでがある言葉で教師を政治家などに置き換えても面白いと思います。
範となるどころか、説明もできず、指示するだけの政治家とかどこかに居そうです。
● 経営者に向かない人(5つのマイナスの性癖)
1. 私心が強い
2. 人の心の襞がわからない
3. 情緒的にものを考える人
4. 責任を回避する
5. 細かいことに出しゃばる
● よき経営者として大きく育った人々の個人史を観察すると、以下の3つの条件を兼ね備えた人が多い。
1.高い志
2.仕事の場の大きさ
3.思索の場の深さ




なお本書の目次は、以下の内容です。
プロローグ 社長ごっこはもうやめよう
第1章 顔つき
第2章 仕事
第3章 資質
第4章 育ち方
第5章 失敗
第6章 退き際
エピローグ 新しい経営者世代への期待
(広告)
- 2007年06月01日
- 経営管理 | ビジネス、自己啓発、スキルアップ
- コメント(1)
- トラックバック(0)
1. Posted by 手文庫@ビジネス書で問題解決 2007年06月02日 01:34
discus2005さん、こんばんは!
> 外部からの波の防波堤
これはありますね。プロジェクトから離れて自分がどれだけ守られていたのか気づくことが多々ありました。