最近では、テレビでも仕事や住居を失った派遣労働者のニュースがよく取り上げられています。
年末年始を「年越し派遣村」で過ごした失業者に対し、坂本総務政務官が「本当にまじめに働こうとしている人たちなのか」と述べたとの発言が物議をかもしています。
本書でも論じていますが、こういった話題になると自己責任論がよく登場します。
- 派遣社員は、ちゃんとした正社員になるという選択枝があったはず。
- あえてそれを選択しなかった。
- 本人が弱くてだらしがなくて、きちんとした将来設計(自己管理)ができていなかったからだ。
- それは、本人の責任である。
- 給料が安いとか雇用が不安定とか不満を言うのは、お門違いで、社会が甘やかしているからそうなる。
といった理屈で貧困に関わる多くの問題が自己責任に帰せられている。
実は、貧困とは、選択肢が奪われていき、自由な選択ができない状態だと筆者は、述べています。
筆者は、貧困状態に陥る背景には、以下の「五重の排除」があるとしています。
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教育課程からの排除。
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企業福祉からの排除。
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家族福祉からの排除。
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公的福祉からの排除。
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自分自身からの排除。
またこれは、お金、頼れる家族・親族・友人、自分に自信がある、何かをできると思える、自分を大切にできるといった”溜め”(この概念は、アマルティア・センの「潜在能力」に似た概念だと筆者は言っています。)が無くなっている状態に陥っているので、いつまでも選択肢がない状態から脱することができないのだと。
多くの貧困者はこの「溜め」がなかったがために、病気などを契機にして一直線に最後まで滑り落ちていくと。
こういった”溜め”を見る努力が政治家や行政、広い意味の援助職に求められるがこれまでもなかなか政府はこの貧困を認めたがらずスタートラインにすら立っていないとしています。
うっかり足を滑らせたら、どこにも引っかかることなく、最後まで滑り落ちてしまう。
筆者は、このような社会を「すべり台社会」と呼び、日本社会はこの「すべり台社会」化している、社会のセーフティネットがほころんでいる。
正規雇用が難しい状況下で非正規であるがため、失業のリスクは高く、雇用保険に加入しておらず、失業給付が受けられず、さらにたとえ生活困窮になったとしても、生活保護を受けることもできない。
本来3段構えのはずのセーフティネットが一段目から外れるとたちまち貧困状態へと立ち至ってしまう社会。この三層のセーフティネットが機能不全になってしまい、刑務所が第四のセーフティネットといった事情。
そんな社会にはノーを言おうではないか。
「反貧困」を合言葉として、貧困問題の現場で活動する著者:湯浅 誠 氏(1969年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。1995年より野宿者(ホームレス)支援活動を行う。現在、反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長ほか。) が、貧困を自己責任とする風潮を批判し、誰もが人間らしく生きることのできる「強い社会」へ向けて、課題と希望を語っている本を紹介します。
本書は、第8回の大佛次郎論壇賞と第14回平和・共同ジャーナリスト基金賞の受賞作品になります。
<<ポイント>>
「すべり台」社会から脱出し、誰もが人間らしく生きられる社会を作ろうと問いかける本。
本書:「反貧困」です。
「「すべり台社会」からの脱出」との副題が付いています。
本書は、著者:湯浅 誠 氏にて、2008年4月に岩波書店より「岩波新書」の一冊として発行されています。
歴史の評価を待つ
強い社会をつくるために
現代日本社会の負の象徴をあらわしている
大仏次郎論壇賞受賞作
不景気、不況と言われる中で<<本書のエッセンスの一部>>
本書の帯には、ダブル受賞のことと併せて以下のように書かれてあります。
誰もが人間らしく生きられる社会へ!
貧困は、社会と政治に対する問いかけである。その問いを、正面から受け止め、逃げずに立ち向かう強さをもった社会を作りたい。過ちを正すのに、遅すぎるということは無い。私たちは、この社会に生きている。この社会を変えていく以外に、「すべり台」から脱出する方途はない。
筆者の貧困問題の提起は、ゲストハウスに住むある夫婦(夫40歳、妻26歳)との出会いの話題から始まっています。
ゲストハウスとは、ユースホステルのような簡易旅館のこと。(お金がない人たちがとりあえず駆け込む居場所。初期費用4万3000円で一ヶ月滞在できる。)
なぜこういった生活になっていったのかという二人のこれまでの生い立ちが克明に語られる。
小学生の時に両親を失い、貧しい家庭に育ち、精神的な疾患を抱えて、…20年間にわたり非正規労働を転々とし、病気で具合が悪くて仕事が続かない。
このような事例は、「レアケース」「極端な事例」と片付けられたり、「根性が足らない」、「計画性がない」といった非難や自己責任論が登場する。
この夫婦も生活状況を改善させようと何度も試みているが、それを可能にする職場はなく、お金もなく、住居もなく、生活の再建を助けてくれる人も、行政からの何らかのサポートも無く孤立無援で生きてきたのだと。
そして、自己責任論を声高に主張する人も、自分一人で生きてきたわけでは無いはずで、官・民にわたるサポートの不在は、肯定されるべきものでは無いはずと述べ、今日、余りにも多くの多様な人たちが、日々新たに貧困状態に陥っているということは、現代の日本社会に人々が貧困化する構造的な要因があり、何が問題か、私たちに何ができるかを真剣に考えるべきではないかと問いかけています。
「反貧困」の筆者らの活動は、ぼろぼろの状態になっってしまったセーフティネットを修繕し、すべり台の途中に歯止めを打ち立て、貧困に陥りそうな人々を排除するのではなくて包摂し、”溜め”を増やすこと。
そしてこれらは、最終的には、政治の仕事であるべき事柄だが、現在の貧困の広がりは、聖域なき構造改革といった流れとともに政治によって進められてきたので、選挙やその他の様々な回路を通じて政治に働きかけるという「社会」の仕事であるとし、大きな組織力を持たない一個人が何かを言ったりやったりしてもどうせムダとの閉塞感が広がっているけれども、一つ一つの活動が真に必要で意義があるものであれば、他者の共感を呼び社会的に伝播していくはずでそこが「反貧困」のスタートラインであると述べています。
さらに、反貧困運動の現状分析に立って、「すべり台社会」に歯止めを打ち立てるための社会資源の充実と当事者のエンパワーメントを通して生活困窮者の”溜め”の拡大に関する活動の内容を概観し、その目的や社会的位置づけ等を詳論しています。
最終章で、帯にもありましたが、以下のように結んでいます。
貧困は自己責任ではない。貧困は、社会と政治に対する問いかけである。その問いを、正面から受け止め、逃げずに立ち向かう強さを持った社会を作りたい。
過ちを正すのに、遅すぎるということはない。私たちは、この社会に生きている。この社会を変えていく以外に「すべり台社会」から脱出できる方途はない。
<<本書で何が学べるか?>>
本書では、貧困問題について「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」との憲法25条のいわば『不適合』ではないかとの観点から、現場からの客観的証拠をもとに貧困の実態と原因を分析し、是正のため「すべり台社会」に歯止めを打ち立てるために生活困窮者の”溜め”の拡大に関する活動を提示し、この社会を変えていくべしと熱く説いています。
本書の問題提起は他人事でなく現状を何とかしなければと強く共感を覚えます。
<<まとめ>>
本書では、貧困問題の現場で活動する著者が、貧困を自己責任とする風潮を批判し、誰もが人間らしく生きることのできる「強い社会」へ向けて、課題と希望を語っています。
本書は、多くの人に読んで頂きたい良書です。
なお本書の目次は以下の内容です。
第?部 貧困問題の現場から
第一章 ある夫婦の暮らし
第二章 すべり台社会・日本
第三章 貧困は自己責任なのか
第?部 「反貧困」の現場から
第四章 「すべり台社会」に歯止めを
第五章 つながり始めた「反貧困」
終章 強い社会を目指して−反貧困のネットワークを
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