小さな町工場から「世界のホンダ」へ本田宗一郎とともにホンダを育てた藤沢武夫氏が自らのことばで本田技研工業について、仕事について、経営について語った同名書〔産業能率短期大学出版部 昭和49年刊の改訂〕の復刊になります


本田宗一郎氏がその類い希な発想力と技術力で製品の開発に情熱を傾け、藤沢武夫氏は、本田宗一郎氏が開発に没頭できるよう、経営全般を指揮してきたことはよく知られています。


1983年に引退ということになりましたが、後継育成を見極めた藤沢武夫氏が決断したもので、本田氏は、その藤沢氏の決断を聞いた際に、藤沢氏の意思をくみ取り、藤沢氏が居ての自分ということで、「二人一緒だよ、俺もだよ」と引退を決断したと言われています。


藤沢氏がやめる決心をされた理由は、「人間六十をこすと、考え方が保守的になる」という一点。


本田氏66歳、藤沢氏62歳の若過ぎる潔い立派な引き際でした。


なお引退後には、藤沢氏は、東京六本木で骨董店を開いています


なぜ骨董店なのか、人を見る眼と物を見る眼で本物を見抜くという共通するところがあったように思われます。


藤沢氏は、何ごとにもやりだしたらトコトンやり遂げずにはいられない苛烈といわれる経営に対する打ち込みの一方、邦楽の常磐津は名取り、クラシック、オペラ、モダンジャズなど幅広い趣味の持ち主でした。


本書では、ふたりの出会いから、ホンダ車としての初の輸出、そして25周年を期に想うことまで、その経営道について説いています


<<ポイント>>


本田宗一郎とともに、本田技研工業を「世界のホンダ」と呼ばれるまでに育てた藤沢武夫氏の経営に対する思いを語っている本


誠心誠意をモットーに、愚直な経営を貫いた経営者は、何を考え、どんな思いで行動してきたのかを数々のエピソードを交えて語っています。


本書:「松明(たいまつ)は自分の手で」です。


本書は、著者:藤沢 武夫 氏にて、2009年3月に PHP研究所より新書版として発行されています。


昭和49年に産業能率短期大学出版部から出版された同名の本の一部改訂版になります。


松明(たいまつ)は自分の手で
PHP研究所
発売日:2009-03-24
発送時期:在庫あり。
ランキング:3782

<<本書のエッセンスの一部>>


本書の帯には、以下のように書かれています。


町工場から

「世界のホンダ」へ

本田宗一郎とともにホンダを育てた男の経営道


本書は、3つの章から構成されています。


膨大なチャーチル大戦回顧録を座右に置きここから数々の教訓を学びとったとされる実力経営者の藤沢氏が難関に遭遇した局面で何を考えて、どんな想いで行動したのか等についてエピソードを交えて藤沢流の経営道が語られています


その一端を紹介します。


中国文学の吉川孝次郎先生が「経営の経の字はタテ糸だ」と書いておられるんですが、大変うまいことをいわれる。布を織るとき、タテ糸は動かずに、ずっと通っている。営の字のほうは、さしずめヨコ糸でしょう。タテ糸がまっすぐ通っていて、初めてヨコ糸は自由自在に動くわけですね。一本の太い筋は通っていて、しかも状況に応じて自在に動ける思うんですよ
 本田宗一郎と出会って、本田技研の創業にたずさわった最初の2年くらいの間、膝を突き合わせてずいぶん話し合ったものです。明け方3時、4時頃まで話しこんじまうなんてこともしばしばでした。この対話から生まれてきたものが、本田技研のタテ糸になったわけですが、このタテ糸を性格づけたのは、本田のヒューマニズムであり、私のロマンチシズムだったといっていいでしょうね。
(略)
ただ、自分の描いた経を、とにもかくにも退陣するまで守り続けられたことが嬉しい。守れないときは会社を辞める覚悟でしあ。ですから、たとえ外部の人に理解してもらえないような事柄にも、従業員は理解し、協力してくれました。

本田技研の生産の型をピラミッドのようにしたい。これが私の希望でした。価格の高い物は需要が小さい。低価格のものは一台あたりの利益は少ないが、数は多く売れる。私はこの底辺を掘り起こさないと、大きな企業にはならないと確信している。企業拡大の原動力が欲しかった。後の話になりますが、スーパーカブがそれに該当したし、四輪では、N360がそれにあたります。

あれだけの技術者でありながら本田は、自分から設備、機械がなければできないといってねだったことがないんです与えられた条件の中で可能性を見いだそうとして、けっして弱音を吐かない。だから、私がかねを出して入れたものは、価値なくむだなものとすることは、けっしてなかったんです。

銀行に対しては、私はなんでもしゃべった。いっさい隠し事をせず、悪い問題も全部銀行に言った
(略)
すべてを知っていれば、銀行も正確な判断ができるわけですよ。二十九年のときは、会社の現実をはっきり説明もしたし、未来についての構想も話したんですけれども、それが割合にその通りになった
(略)
中小企業から大きくなろうというときに、一番大切だったと今にして思うのは、手形の発行を三菱以外にしなかったことですね。

白子工場をつくったとき、まだ機械もろくに入っていないのに、従業員の便所を水洗にして、石鹸を置かせたのは、本田です。食べるものと同じように、出すところもまず清潔にしなきゃいけないというんです。ないかねでそこまでしてくれという。本田がそれをいったということが、私を余計本田好きにさせていくわけですね

どんなに犠牲が大きくても貸し倒れは覚悟して不良代理店にやめてもらう。ずるずると不良貸しは続けないし、またその債権をメーカーの出資金で肩代わりするいわゆる系列販売店も絶対につくらない。しかし、善意で、能力のある業者とはいっしょに行く。たとえ付き合いの遅かった人でも、優秀な人であれば機会を与える。(略)
こうなれば、増産しても不良債権とはならないから、若い社員でも、心配なく販売業者とつき合えることになったわけです


ここで紹介したのは、ほんの一端ですが、本書には、「エキスパート制度」、「研究所の独立」、「集団思考の重役室」、「SF―サービス工場」といった優れた施策が誕生したエピソードや労働組合の結成アメリカ・ホンダの危機スパイ事件ホンダの安全思想…など藤沢流の経営道のエッセンスが満載されています。


<<本書で何が学べるか?>>


本田宗一郎氏と二人三脚で一介の町工場を「世界のホンダ」に育てた藤沢 武夫 氏の「人の個性が発揮できる仕組みなど『ロマンチシズムの軸』のぶれない経営道」が数々のエピソードを交えて語られています。


<<まとめ>>


社長は、技術私は、かねに関する仕事これがスタートだった。二人とも勝手放題。思った通り決済もすれば行動もする。一致することは、”会社を大きくすること”。相手のすることに疑念、指示は一切ない。本田に私の構想を前もって話すとか、了解を得るとかしたことはありません。」


本書には、藤沢氏が経営者としてどこに智恵を絞りどのように行動したのかが幾多のエピソードを交えて語られています。


本書には、経営者が学ぶべき藤沢流の経営道のエッセンスが満載されています


まさに経営者の力量が問われている今日だからこそ読んで頂きたい一冊です


なお本書の主要目次は、以下の内容です。
第1章 本田宗一郎との出会い
第2章 スーパーカブ誕生そして世界へ
第3章 学んだこと、思うこと




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